空飛ぶ映画レビュー

主に新作映画の感想を綴ります。

映画『生きちゃった』の感想 厚久・武田・奈津美がそこに「生きている」

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こんにちは。空飛ぶ人です。
仲野太賀くんが熱いですね。ここ1〜2年でメジャーなテレビドラマや映画への出演が増えて、太賀くんファンとしては嬉しい限り。がっつり主演を張る映画ということで非常に楽しみにしていた『生きちゃった』。
日本人監督、舞台も日本、キャストも日本人でありながら、中国資本という不思議な製作背景があります。「映画製作の原点回帰」というコンセプトのプロジェクトの元で製作された1作で、アジア各国での公開も決まっているとのこと。

ぶっちゃけ、「よく分かんね!!」と思いましたが、主演3人の演技を超越した魂を捉えた映像に心揺さぶられることは間違いありません。

石井監督にとっての「映画製作の原点回帰」とは何だったのでしょうか。

感想と言えるほどまとまってはいませんが、作品を観ている中での”引っかかり”を中心に述べていきたいと思います。

 

<作品情報・あらすじ>

監督:石井裕也

公開日:2020年10月3日

幼馴染の厚久と武田。そして奈津美。学生時代から3人はいつも一緒に過ごしてきた。そして、ふたりの男はひとりの女性を愛した。30歳になった今、厚久と奈津美は結婚し、5歳の娘がいる。ささやかな暮らし、それなりの生活。
だがある日、厚久が会社を早退して家に帰ると、奈津美が見知らぬ男と肌を重ねていた。その日を境に厚久と奈津美、武田の歪んでいた関係が動き出す。そして待ち構えていたのは壮絶な運命だった。 

引用:映画『生きちゃった』公式サイト|全国劇場にて順次公開中!


映画『生きちゃった』特報映像

<感想>

厚久を追い詰めたのは何だったのか

将来性のないオンライン書店の倉庫での仕事、真夏にクーラーもつけられない困窮した生活、そこから脱却するために親友と開業するという夢はありながらも、上手くいくような兆しもない。狭いアパートの暮らしや、セピア色をした実家、ただただ「生きちゃっている」年老いた両親の描かれ方に閉塞感をより一層感じました。(映画見ていて久々に「美術すげーな」と思いました。)

主人公 厚久の妻である奈津美の不倫発覚をきっかけに、物語はとにかく理不尽なほど最悪の展開を繰り広げていきます。

厚久は不倫をした妻から一方的に離婚を言い渡されても、何も物言わずただただ自分を責めるような表情をして飲み込みます。妻を責めることも、彼女に「愛している」と伝えることもできたのに、彼は「わかった」とだけ言うのです。

「本当のことを伝える」その難しさや、苦しみは共感できるのですが、彼がものを言わないことで事態は悪くなる。何かを言いたそうな表情をしながらそれを飲み込み苦しそうな顔をする厚久を観ると、何が一体彼をそこまで追い詰めたのだろうか。とずっと疑問が残りました。

唯一明確に彼の変化のきっかけとして描かれていたのが、奈津美と結婚する前に婚約をしていた女性の存在です。厚久には奈津美と結婚する前に婚約をしていた女性がいたのですが、何らかの理由から奈津美の方を選びます。
数年後、厚久の前にその女性が現れ、自分は子供が産めない体であったこと、自分を選ばなくて正解だったと思うということを告げるのです。厚久はただただ「ごめん」と泣き崩れます。

自分の選択や発言が、誰かを傷つけ、誰かの人生を狂わせてしまう。相手が愛している人や近しい人ならなおさらのことで、厚久はその重圧から自分の本音を口にすることを躊躇し始めたのかなと思いましたが、それだけではなさそうです。

心のよりどころであった祖父の死、妻と子供のために稼ごうとするが抜け出せない貧困も要因の1つだったのかもしれません。 

 

武田の厚久への献身の理由は「友達だから」だけなのか

 抜け出せない負のスパイラルの中にある厚久に最後まで寄り添うのが親友の武田なのですが、「お前らにかまっているほど暇じゃないんだ」と言いながらその距離感は、普通の友人・親友のそれとは明らかに異なります。
かつて厚久と弾き語りでの成功を夢見たバディであり、今も一緒に起業を目出しているということなので、普通の親友以上の信頼関係があるのは判りますが、彼の厚久との向かい合い方には、厚久が幸せになるのを見届けなければならないという「執着」すら感じます。

奈津美が学生のころ武田に好意を持っていたということは奈津美の口から語られますが、武田も同じくかつては奈津美を好きだったのだと思います。
奈津美が大変だったころ、奈津美に寄り添えなかった自分と、厚久に隠している奈津美への感情から、武田は厚久に対して罪悪感のようなものを抱いていたのかもしれません。

リフレインされるセリフと、男二人の舞台的な台詞回し

「本当のことを言えないんだ。僕が日本人だからかな。」親友の武田に何度もそう漏らす厚久。「どうしてかな。英語だと本音が言える。I love my wife. I really really really really love my wife.」という共感を伴う印象的なセリフ。

キャスト陣の演技は非常にリアリティがあるのですが、セリフは非常に舞台的というのか、作り込まれている印象でした。特に厚久と武田のやり取りは、何だか噛み合っていないな。と思うところもありました。「30代の男友達がこんな会話のやり取りするかね」と。何だか日本語翻訳された海外の台本を演じているような違和感を感じたのですが、決して嫌な感じではなく、言葉の1つ1つが粒だって聞こえてきたのが不思議でした。

魂の叫びとそのぶつかり合いを見せるクライマックス=「映画」を取り戻す

ポスタービジュアルにもなっているクライマックスのシーンはとにかく圧巻でした。

監督、キャスト、映画のすべての力がそこに注がれている。このクライマックスを見せるための映画だったのだなと思いました。上映後のトークショーで太賀君も語っていましたが、このシーンへのプレッシャーは相当なものだったようです。

「本当のことを言えない」という苦しみを抱く厚久が「言えないかもしれない」と言いながらもがいて一歩踏み出そうとする姿はまさに演技を超越していたと思います。全裸見せるよりきつかったんじゃないかなと。

『舟を編む』で多くの賞を受賞し、以降原作ものの監督を手掛けてきた石井監督。映画監督としては若いのですが、監督業としてのキャリアは確立されています。

今回、監督が挑んだ「映画製作の原点回帰」とは、これまで培った技術で「そう観える」ように撮るのではなく、「本物を切り取る」ということへの挑戦だったのではないかなと思います。映画の中で生きる3人の丸裸の感情を切り取って見せている。何よりキャストへのリスペクトがあるので、映画冒頭のクレジットは監督より先に主要キャストの名前が出てきたのだと思います。

最後に

凄くパーソナルな内容でありながら、根底には今の日本の問題が潜んでいるようにも思えます。1億総「生きちゃっている」時代、自分の人生を取り戻して「生きる」ことの難しさをみせられながら、その覚悟を持てと言われているようでした。

鑑賞してしばらく時間が経ちますが、この映画人に勧められるかどうかと言われるとやっぱり「よく分からん!!」としか言えません。製作陣の独りよがりな感じもありますし、とにかく観ていて辛いし。嘘くさくも感じなくもないし、すごくリアルにも感じるし。未だ自分の中でどういう位置の映画なのかわからない。こらえ切れなかった涙も何に対して流したのかいまだに説明できない・・・。

ひと一人の人生を観て、「この人は幸せか、不幸か」と問われたら、おそらく答えられないと思うのですが、そんな感じ。

ただ間違いなく、多くの人に観てほしい。「駄作だ!」と感じる人もいると思うけど、そういう人とこの映画について話をしたいな。

 

鑑賞日:2020年10月10日

おすすめ度:★★★★★★(6/10)

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